ぶらり仙台TOP > 文学散歩 > 原 阿佐緒 記念館
  
  
 ◆原 阿佐緒(はら あさお:1888-1969年) 大正期の『アララギ派』歌人。その容姿ゆえ、美貌の歌人と呼ばれた。
 原 阿左緒は明治21年、宮城県宮城郡宮床村に生まれる。
原家は代々、宮床の分家伊達氏の家臣で塩や麹の販売を生業としていた。宮床小学校、
吉岡小学校、角田小学校などを経て、宮城県立高等女学校(現:宮城県立第一女子高等
学校)に入学。肋膜炎を患い中退の後、日本女子美術学校日本画科に入学。下中弥三郎
(平凡社社長)に和歌を教わる。
 
阿佐緒、22才の年、「女子文壇」に歌を投稿し与謝野晶子より天賞を受け、歌壇にデビュー。


 大正2年(26才) 処女作『涙痕』出版。以降『白木槿』、『死をみつめて』、『うす雲』、『阿佐緒
叙情歌集』出版

 彼女が、人々の関心を集めたのは、
その歌よりもスキャンダラスに報じられた『男遍歴』である。
原阿佐緒 記念館

場所:宮城県大和町宮床  Map
アクセス:地下鉄泉中央駅から 13km
      車かタクシーの利用になります。
 病弱で常に受身であった阿佐緒は母の願いを受け入れ美術学校に入学するが、そこの教師の小原要逸のために妊娠、長男千秋(後に、映画
監督)を出産(阿佐緒20才)。形式を重んじる原家は結婚式を故郷で挙げるも小原には既に妻子がいることが判明し離婚する。

 二度目の夫、洋画家庄子勇との間に、二男保美(後に、映画俳優)をもうけるが、夫は阿佐緒の実家の金を当てにして働かず、協議離婚(32才)
となる。

 三度目の恋。健康を害し東北大学付属病院に入院していた阿佐緒を見舞ったのが、同じアララギ派の歌人で東北帝国大学教授、アインシュタ
イン博士の愛弟子(日本への相対性理論の初の紹介者)、石原 純。
 宮床から約4km程の富谷町の『恋路の坂』
 
阿佐緒と石原が人目を避け、手に手を取って
富ヶ岡公園(写真右上)に通った小道。


場所:宮城県富谷町富谷 Map
アクセス:地下鉄泉中央駅から11km
      バス、車、タクシー利用  
 石原の強い求愛に戸惑いながらも結局同居することになった。石原は学校を追放される。
メディアはこれを大々的に取り上げ、
『日本の頭脳をたぶらかしたはしたない悪女』との烙印を押した。
  
二人で千葉県保田に住んだが、阿佐緒が求めたのは純粋な愛、二人の間には亀裂が出来始め
41才の時、無断で石原のもとを去り宮床にもどる。