ぶらり仙台TOP > 文学散歩 > 松尾芭蕉・奥の細道の足跡を訪ねて 1 > その2 > その3 
  
  
 松尾芭蕉・奥の細道の足跡や、主に仙台ゆかりの文学者などをご紹介しています。
 ↑の項目からお入りください。
 今から凡そ320年前、松尾芭蕉が「おくのほそ道」紀行で仙台藩内を2週間かけて歩いた。彼は、古くから伝えられる歌枕の地(観光スポット)
等を巡っており、現代の観光地に通じるものも多い。宮城県を知る一助になればと、このHPのトップとして置きました。
   
 ◆ 松尾芭蕉 奥の細道の足跡を訪ねて その1
【奥の細道への旅立ちの背景】
 松尾芭蕉は下級武士の出身だったが主君に俳諧の道でその才能を認められた。しかしそ
れは長く続かなかった。主君が急死してしまい、新しい主君は全く俳諧に興味は無かった。
芭蕉の武士としての出世は諦めざるを得なかった。
 芭蕉は俳諧に精を出し、談林派(だんりんは)全盛の当時、芭蕉も江戸に出て活躍し頭角
を現しトップクラスに上り詰めた。しかし又、その談林派も人々から飽きられ人気が低落、
井原西鶴は小説の世界に活路を見出していったが、芭蕉はあくまでも俳諧の道を進もうとす
る。
 俳諧の世界で成功するが弟子が増え収入も増えるが、弟子の指導などに時間を取られて
自分自身を磨く時間が無くなってしまう。40歳を過ぎてもう人生はそう長くは無いと感じれば
感じるほど文学の世界に自分なりの俳諧を高めて歴史に残したい。生活を文学化する為に
は『旅』が一番良い。しかも、死を覚悟するような俗世界から遠ざかるようなぎりぎりの環境で
の旅が良い。自分を極限の世界に置くことにより理想とする、本当の俳諧の世界が見えてくる
に違いない。
 その為には、北の最果て『東北地方』が良い
と考えた。その昔いわば異国の地の様なその
地は、西行などが旅をし、しかも伝説や歌枕、
風光明媚な地が沢山あり、万が一にも旅の途
中で死んでも悔いは無い。むしろ誇りとなろう。
 
 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
 
この句を詠んで、旅の途中で死のう。旅立ちを
決心した時に浮かんできた句であった。
 
 松尾芭蕉、46歳。同行者、河合曾良、41歳の
時の弥生三月、芭蕉の心の旅が始まった。

 『おくのほそみち』は、仙台の細道だった!

現在の仙台市北東の位置、七北田川に架かる
土橋(今市橋)を渡って左へ6、7丁行くと、北側
の谷間に「岩切新田」があります。
歌枕に歌われた「十符の菅」を栽培する地域が
あったと言われています。

「おくの細道」は、その田に通じる畦道(あぜみち
)の呼称であったそうで、ここからヒントを得て
ネーミングしたようです。(※)

(※)又は、塩釜(塩竈)街道そのものを奥の細道
と言っていたようでもあります。
おくのほそ道碑

東光寺参道の入口
場所:仙台市宮城野区岩切
  Map
アクセス:JR東北本線 岩切駅から
      
1.3km 徒歩 15分
大木戸長坂跡 写真中央が芭蕉の碑
場所:福島県国見町大木戸長坂
 Map
アクセス:JR東北本線貝田駅から2.5km
      徒歩 35分
あぶみずり(鐙摺)
場所:宮城県白石市斎川 田村神社脇 Map
アクセス:JR東北本線越河駅から2.7km
      徒歩 35分
甲冑堂 田村神社の境内
場所:同左
アクセス:同左
  
 東京都江東区深川の芭蕉庵を処分し、仮住まいをした採茶庵から隅田川を舟で上り、1689年3月27日(新暦5月16日)千住に上陸、ここから
みちのくへの旅立ちが始まった。
1689年5月3日(新暦6月19日)、福島県国見町から『伊達の大木戸』を通過し仙台藩(宮城県)に入った。同じ東北でも、福島県までは幕府の
直轄領か関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従った譜代大名の領地であったが、仙台伊達藩内に入るとここは外様大名の国である。千住を発っ
て初めて”外国並み”の奥の国に入ることになるのである。
 馬の鐙が摺れるほど細い坂道を通り、白石市・斎川宿に入り、佐藤元治(福島県・福島市飯坂)の二人の息子達の嫁の甲冑姿(※)が奉られて
いる田村神社の甲冑堂を見て白石市に宿泊する。
※義経と共に戦い戦死した息子達の母親が余りにも悲しむことから、嫁二人が甲冑姿で凱旋したように演じ、姑の心を慰めたと言う逸話。
笠島 道祖神社
場所:名取市笠島
 Map
アクセス:JR東北本線名取駅から4km
      徒歩 50分
藤中将実方の墓の入口、「かたみの薄」の地
場所:名取市愛島(めでしま)
 Map
アクセス:JR東北本線名取駅から3.5km
      徒歩 45分
藤中将実方の墓
場所:左写真の右手の細道を中に入る
 1689年5月4日(新暦6月20日)、芭蕉の「昔の歌人の足跡」を訪問する目的の一人である藤中将(とうのちゅうじょう)実方(さねかた)の墓を見る
つもりであったが、五月雨で道が悪かったので諦めた。 ここで一句。
 
 
笠島はいづこ五月のぬかり道
 
 実方(960-998)は平安中期の歌人。宮中の殿上で自分の歌を馬鹿にされて恨んでいた藤原行成に出会い、彼の冠を叩き落としたのを一条天皇
に見られ、『歌枕、見てまいれ!』と東北の「陸奥守」(宮城県多賀城市)に左遷されてしまう。
だが、めげずに外国旅行の様に歌枕の地を訪ね歩いていたが、ある日、道祖神の前を下馬せずに、乗馬したまま通過したため神罰が当たり、落馬
して死んでしまったと伝えられる。
 後に、西行が「
朽ちもせぬその名をばかりとどめ置きて枯野の薄(すすき)かたみにぞ見る」と歌い、名所になった。
 
 岩沼市に入り、「名勝二木の松」・武隈の松
を見て感動する。
 
能因法師が「武隈の松はこのたび跡も無し
千歳を経てや我は来つらん」と歌ったのを思い
出し、餞別として挙白が贈ってくれた句、
「武隈の松見せ申せ遅桜」に返して一句。
 
桜より松は二木を三月越し
 
武隈の松(たけくまのまつ)
現在、7代目の松。
近くに竹駒神社が有り、芭蕉句碑が鳥居横
に有る。

場所:岩沼市二木
 Map
アクセス:JR東北本線岩沼駅から800m
      徒歩 10分