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 ◆ 松尾芭蕉 奥の細道の足跡を訪ねて その3
大崎市と栗原市…幻の訪問地
      
  芭蕉と曾良は松島から道を間違って石巻に向かったことになるが、本来は奥州街道(現在の国道4号線)沿いに北上し、緒絶橋と姉歯の松を
見る予定だった。 その幻の訪問地を!  
緒絶川は、平安時代に嵯峨天皇に寵愛さ
れた『おだえ姫』が都を追われ、会えずに
過ごす毎日を悲観しこの川に身を投じたと
いう悲恋伝説が残っています。
 平安時代には緒絶橋の名は悲恋の歌枕
となりました。緒絶橋の袂には左京太夫道
雅の歌碑と、芭蕉の句碑が建っています。

 
 緒絶橋のたもとに立っている歌碑は、後拾
遺和歌集・左京太夫道雅の歌が刻まれてい
ます。
みちのくの をだえの橋や是ならん 
    ふみみふまずみ こころまどはす
緒絶川にかかる緒絶橋
場所:宮城県大崎市古川川端
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アクセス:JR東北本線古川駅から1..5km
      徒歩 20分
姉歯の松
場所:宮城県栗原市金成姉歯  Map
アクセス:東北新幹線くりこま高原駅から6.3km
      徒歩 80分
姉歯の松
 伝えによれば、用明天皇の御代に全国から「女官」を選んだ時、陸奥国の代表となったのは奥州気仙郡高田の豪農の才媛の誉れ高い娘
『朝日姫』だった。郷土の栄光と名誉を担って、船の旅に出た朝日姫であったが、途中大嵐となり、船を降りて陸路を進めねばならなかった。
しかし、姉歯の里にたどり着いたところで重い病気になり息を引き取ってしまう。最後まで都に思いを馳せながら逝った哀れな朝日姫を姉歯
の人たちは丁寧に葬ったという。
 その後、朝日姫の妹である夕日姫が代わりに都へ向かうことなり、旅路の途中で姉歯の地に立ち寄った。悲運な姉の事を思うとなかなか立
ち去る事が出来なかったが、墓に松の木を植えて墓印とした。薄命の姉を思い夕日姫が植えたこの松が、姉歯の松だそうです。

 この姉妹の話が、歌枕として詠まれる様になりました。  『連れて行きたいけど、連れて行けない』と言うような意味。

石巻市
石巻市日和山公園の芭蕉と曾良像
場所:石巻市日和が丘
 Map
アクセス:JR仙石線・石巻線石巻駅から1.7km
      徒歩 22分
住吉公園
場所:石巻市住吉町1
 Map
アクセス:JR仙石線・石巻線石巻駅から1km
      徒歩 12分
袖の渡り
場所:同左

アクセス:同左
      徒歩 同左
石巻へ
 一行は、道を間違って(?)石巻に出てしまった事になっている。石巻市は宮城県第二の都市、当時も北上川河口の港が海運の基地になって
いて栄えていた。芭蕉は一泊し、歌枕の地である袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原などを見て一路平泉を目指して登米へと向かいます。
宿泊地は現在のグランドホテル辺り。入り口に石柱が立っています。

日和山と芭蕉像
 高台にある日和山公園には芭蕉像が有ります。

住吉神社と袖の渡り
 市内中心地付近にある袖の渡り。義経が船賃の代りに着ていた服の袖片方を渡したとの故事から来ています。

みちのくの袖のわたりの涙川こころのうちにながれてぞすむ  …新後拾遺和歌集
    奥州の袖の渡りを渡るときの心細さによる涙ではないが、私の涙は心の中に澄み切って流れている

← 尾ぶちの牧
写真は、住吉公園から見た『尾ぶちの牧』の
牧山。ここに放牧場が有ったようです。
  
みちのくの尾ぶちの駒も野飼ふには荒れこ
そまされなつくものかは
 …後選和歌集
  
奥州の尾ぶちの牧場の馬も、放し飼いな
どしていては荒々しくなって人になつくように
は成る筈が無い


真野の萱原(石巻市稲井地区)→
みちのくのまのの萱原遠けどもおもかげ
にして見ゆといふものを
…万葉集巻30笠女郎
奥州の真野の萱原は遥かに遠いけども面影
になって見えるというのに、近くにいるあなた
を恋い慕わない訳には行かない 
尾ぶちの牧(牧山辺り)
場所:石巻市牧山
 Map
アクセス:JR仙石線石巻駅から5km
      徒歩 65分
真野の萱原
場所:石巻市稲井真野地区  Map

アクセス:JR石巻線陸前稲井駅から4km
      徒歩 55分

登米市登米(とめしとよま)-岩手県一関市-平泉町
芭蕉宿泊の地碑
場所:登米市登米
 Map
アクセス:JR気仙沼線柳津駅から6km
      徒歩 75分
芭蕉宿泊地碑
場所:岩手県一関市地主町

アクセス:JR東北本線一ノ関駅から1.2km
      徒歩 12分
平泉・高館
場所:岩手県平泉町  Map

アクセス:JR東北本線平泉駅から1.5km
      徒歩 20分

登米
新暦6月27日芭蕉一行は北上川の土手の上を行き、途中で船を使ったりして「戸伊麻(現 登米[とよま])」に到着し一泊する。

写真は、一宿の地の碑。芭蕉達は予定した人物にあえず、頼み込んで村役人(検断)の庄左衛門のところに宿泊した。検断屋敷跡は工事により
この堤防の下に埋まってしまっためその地にあった「一宿の地石碑」を堤防に建立している。
尚、登米は、江戸後期から明治時代の建造物が残っており『みやぎの明治村』と呼ばれています。

一関
(注)一関市と平泉町は現在岩手県ですが、当時は仙台藩内だったので続けます。
芭蕉と曾良が平泉を訪問するに当たり、宿泊したのが一ノ関であった。新暦6月29日の夕暮れ時に一ノ関に到着。翌日、平泉まで往復した。

平泉・卯の花清水
場所:岩手県平泉町  Map

アクセス:JR東北本線平泉駅から1.5km
      徒歩 20分
平泉・平泉文化史館前
場所:岩手県平泉町坂下  Map

アクセス:JR東北本線平泉駅から1.7km
      徒歩 22分
平泉・中尊寺
場所:岩手県平泉町  Map

アクセス:JR東北本線平泉駅から2.8km
      徒歩 35分

平泉
 1689年新暦6月29日、岩手県・平泉を訪問した。
『藤原三代の栄華も、一瞬の夢。往時の大門の跡は一里手前に残っている。秀衡の館の跡は田や野原になってしまい金鶏山だけが形をとど
めている。先ず高館に登ると…(中略)「国破れて山河有り、城春にして草青みたり」と言う杜甫の詩を思い出しながら笠をちっょと置いて時を
忘れ涙を流したのであった。』と記している。
 
 
夏草や兵どもが夢の跡
  
…(この城には、今は夏草が生い茂っていることだ! しかし、昔は<義経や藤原氏の>武士たちが戦い、功名を夢見た夢の跡なのだよ)

 
卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良
  
…(卯の花を見ていると、白髪を振り乱して戦った兼房※が見えてくるようだ)   ※義経の老いた家臣、増尾十郎兼房


高館・義経堂
仙台藩4代藩主伊達綱村によって建立され、中に義経の木像が安置されている。

卯の花清水
高館の近くにある卯の花清水。 曾良の『卯の花に…』の句碑が有ります。

古戦場跡と奥の細道記念碑
中尊寺の入口付近にある駐車場に隣接した平泉文化史館前に記念碑が有ります。

中尊寺境内の芭蕉像
中尊寺の金色堂の近くには、芭蕉像・句碑と、旧鞘堂(金色堂の覆い)が有ります。

宮城県
大崎市岩出山の宿泊地
場所:大崎市岩出山
 Map
アクセス:JR陸羽東線 岩出山駅から0.8km
      徒歩 10分
小黒崎(小黒崎観光センター前)
場所:大崎市鳴子温泉字竹原 Map

アクセス:JR陸羽東線川渡駅から2.7km
      徒歩 35分
美豆の小島
場所:大崎市鳴子温泉字竹原

アクセス:同左 参照
      徒歩 同左

新暦6月30日、芭蕉一行は一ノ関を後にし、歌枕の地、小黒崎と美豆の小島を見学してから尿前の関(しとまえのせき)に向かったが、まだまだ
距離が有ると知り、見学後岩出山の町に戻って一泊した。

小黒崎みづの小島の人ならば都のつとにいざと言はましを…古今集「東歌」
小黒崎やみづの小島がもしも人だったならば都へ土産として、さあ一緒に行こうというところなのだが
    
尿前の関(しとまえのせき)
場所:大崎市鳴子温泉尿前  Map

アクセス:JR陸羽東線線鳴子温泉駅から2.2km
      徒歩 30分
尿前の関の芭蕉像
場所:同左

アクセス:同左
      徒歩 同左
封人の家
場所:山形県最上町堺田  Map

アクセス:JR陸羽東線線堺田駅から0.5km
      徒歩 7分

新暦7月1日。平泉からの戻り道、岩出山に泊まり、山形県側への山越えの旅に出る。
鳴子温泉を過ぎ、出羽の国(山形県)を越えようと尿前の関に着いたが、この険しい道は通る人も少なく怪しまれてなかなか通してもらえなかっ
た。その昔、義経が逃げ延びたコースとも言われているので足止め食ってもしょうがないところか。
  
こうして、宮城県から山形県へと歩を進めた。
関所越えの後、山形県に入った一行は封人の家(国境の番人)に泊めて貰う。陸羽東線堺田駅近くにその封人の家が公開されています。
   
以上で、主に宮城県内での『奥の細道』の足跡のご紹介を終えますが、管理人の別ページ 奥の細道 もご覧下さい。