大崎八幡宮
 平安時代に武門の神である宇佐八幡宮を岩手県水沢市に坂上田村麻呂が勧請。その後、奥州を治めた大崎氏が
宮城県田尻町に遷し「大崎八幡宮」と呼ばれるようになりました。大崎氏滅亡後、仙台藩主伊達政宗が宮城県の初め
ての居城・宮城県岩出山町にご神体を移し、仙台開府後に青葉城(仙台城)の乾(北西)の方角にある現在地に祀りま
した。この際、旧領・山形県米沢市の「成島八幡宮」と共に祀る様に成りました。
 1604年に着手し1607年に完成。『権現造り』という平安時代からの様式を持っており、本殿と拝殿の間を石の間と呼
ぶ空間が有ります。京都北野天満宮に始まる形式で現存する桃山様式の神社では最も古いといわれています。
 
腐食で沈下や傾斜が進む柱や軒を支える「組み物(互い違いになったもの)」の破損を直し、内部の彩色を剥がれ落ち
ない様にのりづけし、漆と金具は塗り替え・修復、外部の彩色は塗り直すという平成の大修復が2000年から行われ、
この程4年振りに完成した。
 豪華絢爛な外部とは違い、本殿の内陣は壁面を白く塗り、古い時代の水墨画が描かれています。
(神主しか目にすることが出来なかった内陣の水墨画であるが、工事前の2000年3月と完成時の2004年10月に建造
400年振りに公開された。中国の風景図と、伊達家紋章にちなむ竹に雀等が題材です。)
  
大鳥居 弐の鳥居【県指定文化財】
参の鳥居 長床【重文】、拝殿・本殿の前にある。今は仮の拝殿。
拝殿の軒の垂木を支える「斗拱(ときょう)組物」。 斗(ます)は上向きの凹の形のもので、それと上の斗を支える長い
横木=「肘木(ひじき)」と呼ばれるものの組み合わせのものを斗拱組物と言います。
 「斗拱組物」の間の「斗」を支える彫刻のある赤い八の字状のは「カエル股」と呼ばれるものです。
拝殿の唐破風装飾。 向かい合う龍の彫刻。
「千鳥破風」。屋根の一番上の横木=棟木(むなぎ)を風雨から守り柱が露出して見えるのを隠すためにあるのが破風
といわれるものです。
屋根は柿(こけら)葺きまたは木羽(こば)葺きと言われる
薄い板を重ねて葺いたもので、曲線が綺麗です。
本殿の破風。
 
 記念行事として、「雀踊り」が奉納されました。青葉城石垣完成時に石工が即興で舞ったのが雀踊り。石工が多く
住んでいた八幡町界隈で伝承され、ここ大崎八幡宮の祭典で奉納されていました。言わば、ルーツです。
この会場の構造物は本殿改修時の覆いとして使われていたものです。