県内市町村紹介 柴田町・船岡
萩2題。 花のはぎ、『めいぼくせんだいはぎ』伊達騒動
「萩」、仙台萩と宮城野萩
植物の仙台萩は、春に咲く黄色い花です。仙台の「萩」は、秋に咲く宮城野萩を指します。
読み方は同じで、皆さんの記憶を掠めるのは、先代萩(せんだいはぎ)でしょう。
和歌に歌われる宮城野萩。分布:中国四国山間部から北部。 センダイハギ(仙台萩)分布:東北地方から北海道の砂地に見られる。

伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)
古典と呼ばれる歌舞伎作品の中の人気狂言です。仙台3代藩主・伊達綱宗が、伽羅(インドの香木、名木)で作った高価な下駄を履いて、夜な夜な遊女の許へ通い遊女遊びで身を持ち崩し、隠居。幼い藩主が生まれると、いつの世も、その藩政を握ろうとする悪者が出てきます。その悪者一派の仁木弾正と八汐の兄妹、わが子を犠牲にしても、幼い藩主を守ろうとする乳人の政岡を中心に物語は進みます。この作品も俗に「伊達騒動」と呼ばれるお家騒動をモチーフに描いているのです。伊達家は有名な伊達政宗を祖とする奥州の64万石の名門ですが、この伊達家を舞台におこった藩内の争いは、江戸時代の「お家騒動」の中でも、最も有名なものとして世間の注目を集めました。
  

伊達騒動(1671年)
当時、伊達藩は、前3代藩主綱宗が素行不良のため隠居させられた。
家督を継いだのは、2歳の幼い4代藩主伊達綱村でした。伊達兵部(だて ひょうぶ)が藩主の後見役として実権を握り、家老原田甲斐(はらだ かい)とともに実際の藩政を動かしていました。

これに保守派の伊達安芸(あき)らが反発、両派の対立が深まります。伊達安芸は、自身の境界争いに対してなされた伊達兵部の裁定に不満を持ち、兵部一派が悪政を行っていると幕府に訴えていました。
1671327日、その尋問が、幕府の酒井大老邸で行われました。そのとき、形勢不利な原田甲斐が控室に戻り、伊達安芸を斬り、その原田甲斐は、柴田外記(げき)に斬られるという刃傷事件が発生しました。当事者のほとんどが死んでしまい、あやふやなまま「伊達騒動」が決着してしまいました。
この結果、原田家は、男子は皆斬られ、お家断絶となり、生き残った伊達兵部は四国の土佐に流されますが、仙台藩62万石にはおとがめなしとなります。これが伊達騒動です。 
 

樅(もみ)の木は残った
山本周五郎の小説「樅の木は残った」では、原田甲斐は、仙台藩を守った忠臣として描かれています。昭和45年ですがNHKの大河ドラマにもなりました。
あら筋は、幼君を操っていた伊達兵部が幕府の大老酒井と、仙台藩を2分し半分は自分が治めるという密約を交わしていたことを知った原田甲斐が、伊達兵部に接近しつつ(敵側に組する形をとりながら)、仙台藩の危機を救うために奔走するというものです。
この小説の中で、主家の安泰を最も願っていたにもかかわらず、逆臣の汚名を着たまま死んだ原田甲斐を象徴するものとして、原田甲斐が好んだ木として樅の木が登場します。
仙台から電車で30分位南の町、柴田町船岡の船岡城址(当時の原田甲斐の居城)には、題名のモデル「樅の木」があります。船岡城址は、春は桜の名所、秋には宮城県唯一の菊人形展が開催されます。
 

『樅の木は残った』のゆかりの樅の木。船岡城址中腹、三の丸跡の公園から5分ほど登ったところにある。
耐えて泣いた原田甲斐が好んだ樅。秋雨に濡れていました。(
H14.9.28 撮影)

城下。日本さくら100選、白石川堰堤の『一目千本桜』、脇をJR東北線が走っており、春はスピードダウンして観桜列車に早や変わりする。ずっと昔ランドセルのTVCM『ぴっかぴっかの〜一年生』のロケで使われた。  右は、雨に煙る城下町・船岡。
山頂の、平和観音。町のシンボルで、遠くからも分る。 萩ではなく、彼岸花が満開でした。